実家のある緑豊かな環境の中で、少し遅いゴールデンウィークと称し、
まさに「お日さん、西々~~。」のりトリート的生活をしています。

そしてブログのタイトル、最近のお気に入りの作家の梨木香歩さんの
作品「春になったら苺を摘みに」をパクッています!(笑)、の通り
この時期は、苺が一気に採れる時期なのです。

毎日小腹が空いたと言っては苺、喉が乾いたと言っては、また苺…。
もちろん、他にも絹サヤやレタスも採れてます。

苺という字は、草冠に母と書きますが、作っているのは父です。

今日も少し暑い昼下がり、畑から帰ってきた父と苺を摘まんでいたら、
大きな籠いっぱいに入った苺を見ながら、父がこんなことを呟いた。

「苺がこれだけ採れるってことは、この辺にはまだミツバチが
いるってことやなぁ。」

ミツバチが花と花を行き来することによって、農作物の受粉が自然に
行われている。

ただ種をまけば、芽が出て、花が咲いて、実がなる、のではなく、
受粉をする仲介者が自然界には存在する。

その仲介役である、ミツバチがいなくなってしまったら?

「スイカなどの大きな植物は人の手による受粉も可能かもしれない。
実際に、昔はそのようにやっていたようだし。
だけど、トマトなど多くの実をつける野菜は… 。」

ここで父親の言葉は途切れる。

人の手で一つひとつ行うとなると、ものすごい手間だ。

野菜も大幅に値上がりするだろう。

ニュースなどマスメディアでも報道されているが、ミツバチが激減している。
(もちろん、激減しているのはミツバチだけではないけれど。)

昆虫や動物たちは、とても静かに数を減らしていく。
人間のように、文句を言うこともなく、抗議することもなく。
自分たちが住めない環境になったら、そのままそれを受け入れて
黙って去っていく。

だから、人がそれに気づいた時には、取り返しのつかないくらい
数が激減しているということも、少なくない。


いつものウォーキングコースを歩きいていたら、こんなことが
沸々と浮かんできました。

ここも、一見昔と変わらず平和で穏やかに見えるが、子供のころに
は飲むことができた井戸水は、もう飲めないし、夕暮れ時や夜に響く
カエルの合唱の声も年々小さくなっている。

そして、毎年家にやってくるツバメの繁殖能力が、落ちてきている
ように感じる。

地上の他の生き物と人間は、決定的に異なる。
肉体とは異なるライトボディの仕組みもさることながら、人は「自由意思」という
選択肢を与えられている。

植物や鉱物、そして動物のように、自然の、そして宇宙の流れに
完全に委ねてしまうのではなく、「選択する」という権利を与え
られている。

「(生態系の)ピラミッドの頂点に立つ人間が…。」

草木や山、川、田畑からも、そこにある全ての自然のエネルギーが
まるで1つの意志をもつ生命体のように集まり、そこからこのまるで
リフレインのように、何度も投げかけられるような感覚があった。
(これを精霊と呼ぶのかもしれないが。)

「ピラミッドの頂点に立つ人間が…」の先は何か。
自然に意思というものがあるならば、それに今すぐ耳を傾けないと
いけないという、という切なるメッセージか。

それとも…。

そんなことを思いながら、川沿いの田舎道をてくてくと歩いていました。

父親との会話で思い出したのが、映画「六ヶ所村ラプソディ」の
鎌仲ひとみ監督の新しい作品である、「ミツバチの羽音と地球の回転」。

3月に東京で上映会があったのですが、スケジュールが合わず、興味を
持ちつつそのままになっていました。

上映は2010年春の予定ですが、各地で上映会が開催されちえるようです
ので、タイミングを見ながら行ってみようと思っています。
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☆映画「ミツバチの羽音と地球の回転
上映会のスケジュールは、下記のサイトから確認できます。
http://888earth.net/trailer.html
☆ネオ・アデプト
宇宙や自然のエネルギーと人間のエネルギーの仕組みについては
このプログラムで触れることができます。