1980年12月8日、その日にジョンは射殺されました。

レコーディングの帰り道、ジョンと私はどこへも寄らずに自宅へと
急いでいました。

「ショーンが寝る前に顔を見ておかなくちゃね。」

車の中でジョンが言ったからです。ジョンが私の目の前で殺されたのは、
その直後のことでした。

ふたりで多くを語り合ったベッドに、ひとりで横たわっていると涙が
出て来るばかりで、
立ち上がる気力すら出てこない。しばらくはジョンの好きだったチョコ
レートしか口にすることができませんでした。

それまでは大嫌いだったチョコレートです。

当たり前のようにそこにいた人が突然いなくなる。いなくなったという
ことが理解できない。

追い討ちをかけるように、ひとりになった私のもとへ、いろいろな人が
なんだかんだと嫌な事を言ってきました。

それまではジョンの保護にあったのに急になくなってしまった。
心身ともにまいっているのに、やっかいなこともすべて自分で対応しな
ければならない。

未亡人って、こんなことまでしなくちゃならないのかと、驚きました。
それでも息子ショーンのことを思うと絶対に生きながらえなくては、
と思いました。

そうやって、前に進もうとするのですが、私を押さえようとする人たちに
足をひっぱられて動けない感じでした。

「これに負けてはいけない。」

そんなとき、「このままでは自分がだめになってしまう」と思って、
始めたのが人を「BLESS」(祝福)することです。

「Bless you Jack, Bless you Norman,Bless you Fred…….」

夜ベッドの中で頭に浮かんだ名前を祝福しました。無心になって祈り
続けました。

おかしなもので、口をついて出てくるのは私に対して嫌がらせや誹謗
中傷している人たちの名前ばかりでした。

「なんで、こんな嫌なひとたちばかり祝福しているんだろう」と思い
ながらも続けました。

その当時はただ、それをしなければ自分が病気になってしまうという
必死の思いがあったのです。
だから、私をアタックしている好きでもない人たちを一生懸命祝福し続けたのです。

「祝福」を始めてから一週間ほどした頃、私の気持ちに変化が表れました。
嫌がらせをしたり、私を傷つけようとした彼らに対する恨みが薄れてきた
のです。

それと同時に不思議なことが起こりました。

私を攻撃していた人たちはまだ攻撃の態度を変えたわけではないけれど、
他のことに忙しくなったり、仲間割れをして互いに衝突したり、
ある人はこんなことを仲間と企んでいたと私に告白しに来たり、
私に向かっていた鉾先(ほこさき)が鈍ってきたのです。

そのおかげで私は病気にもならず前に進むことができたのです。

そして、その出来事の中で、ひとつ気がついたことがあります。

「私の体をメチャクチャにしていたのは、自分の中にある恐怖や怒り
なんだ」ということです。

怖がっていること自体が自分の気持ちを弱くしていたのですね。

人のために祈っているつもりでいたのだけれど、それは自分の中にある
恐怖や怒りを追い払うことだったのです。

私たちが人のためと思ってやっていることは結果として自分の心にも
いい影響を与えているのだと思います。

もし、周りにあなたをいじめるような人がいたら「祝福」してあげて
ください。

それはとても難しいことですが、あなたの健康のためだと思ってやって
みてください。

そうすると、あなたはその人たちのいじめの世界の上に出ることができ
るのです。

(中略)

あなたが祝福している相手が自分を愛してくれる、というのとは違います。
そんな甘いことではなくて、敵を祝福するという難しいことをしたために、
あなたがもう少し強い人間になったということです。

そして、それを向こう側も感じないわけにはいかなかったということだと
思います。

向こう側からバッシングされることが終わらなくても、あなたが相手を
祝福してあげたことによって、
あなたは強い健康な人間として前に進んでいくことができるようになった
ということです。

今あなたに知ってもらいたいこと

(幻冬舎刊)より抜粋
 By オノ・ヨーコ